プロフィール

こんにちは、takaと申します。この記事では、私自身のことについて書こうと思います。留学することになった経緯など書いていきます。

簡単な自己紹介

  • 群馬県出身で大学時代以降はずっと東京暮らし
  • 好きなものは美味しいご飯と海外ドラマをみること
  • 日本語と英語に加えて中国語を勉強中です

アメリカに研究留学することになった経緯

中学一年生の時に1年間ペンシルバニア州に住む

中学一年生になった時に、1年だけ父親がアメリカに出張することになり、家族全員で1年間アメリカ生活を送りました。

その時の経験はとても新鮮でした

アメリカで生まれ育った人ももちろんたくさんいますが、ヨーロッパやアジア、南米などからも多くの子供たちが来ていて、学校には世界中の人が集まっていました。

英語はうまく話せなかったけれど、カタコトの英語で会話して、お互いにそれぞれの国の文化や言葉を紹介しました。

また、ワシントンDCやニューヨークまで車でよく遊びにも行きました。美術館や博物館は学生の入場料が無料で、この国は人間の文化や科学、そして若い人の教育をとても大切にしているのだな、ということが感じられました。

美味しい料理もたくさんあったこともよく思えています(笑)

その時の経験があって、大人になったら海外の人と一緒に仕事をしたい、そしてまたアメリカに行きたいと思う気持ちが生まれました。

医師として働きながら医学研究を行う

子供の頃に手塚治虫の漫画「ブラックジャック」が好きでよく読んでいました。外科の手術で人を治すのはカッコいいなと子供ながらに思っていました。

大人になって、それまでも色々とありましたが、最終的に外科の医師になり癌の治療をする専門医になりました。

日々患者さんの治療に携わる中で、手術だけでなく、多くの人に役立つ研究をやってみたいと思い、大学に所属して日々の診療の傍らで臨床の研究をすることにしました。

大学院では癌の薬の治療に関して、臨床の研究をテーマにして論文を書きました。その中で、遺伝子の仕組みに関しても詳しく勉強して研究したいな、という思いが生まれ、アメリカ研究留学を目指すことにしました。

アメリカ研究留学を試みるも受け入れ先なし

2018年に4ヶ所程度のアメリカの研究室にウェブ面談をすることができましたが、最終的に「給与は出せないので、代わりに公募の研究助成金を取ってこないと受け入れはできない」と言われてしまいました。

国の機関が認める研究職への最低賃金を出してくれる研究室はみつかりませんでした。

研究のテーマに少し方向転換があり、過去の研究テーマと留学先でやりたいテーマにズレがあったので、ただでさえ競争率の高い公募の研究助成金はなかなか取れず。

結局、一度アメリカ留学は断念しました。。

ふとしたことで決まった海外留学

2020年に入ってコロナの状況もあり、しばらく海外留学はできないかな、と半ば諦めていました。また36歳になったので、2,3年のうちに留学に行くなら行かないと時期も遅くなってしまうな、という焦る気持ちもありました。

10月になって、前の職場の上司から留学先の話があると声を掛けていただいて、留学先と急遽ウェブ面談を行いました。結果、最低賃金の給与も出してもらえることになり、3ヶ月後の2021年1月に留学することが決まりました。この上司には本当に感謝です。

1月はロサンゼルスはコロナ感染者が1日2万人も出ていたため、安全を考えて妻と子供を日本において、ひとまず単身で渡米することとしました。理解してくれた家族にも感謝しかありません。

小さな研究室ではありますが、現在は研究室のメンバーと楽しく研究をしています。

今後のこと

2023年初めまでロサンゼルスにいて研究を続ける予定です。状況によっては2024年初めまで居られるかもしれません。

このブログで書いていくこと

海外旅行や出張などは以前からよく経験していたのですが、実際に自分で準備してアメリカに移住するのは今回が初めての経験です。

日本との違いで戸惑ったり、海外留学をする際に必要な手続きなど、自分なりに調べながら準備を進め、とても大変でした。

このブログでは、今回の僕の経験をもとに、これからアメリカロサンゼルスに留学や転勤をする方の参考になるような

・海外留学する際に困ったこととそれを解決した方法
・ロサンゼルス生活の楽しみ方や工夫
・医師の研究留学事情

について、発信していきます。

さいごに

簡単に私自身のこととアメリカに研究留学することになった経緯についてご紹介させていただきました。

よければ他の記事も読んでいただけると嬉しいです。

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